藺草人日記 #2|いぐさの季節がやってきた

― 田んぼじゃなくて畳に生きる植物 ― 【1】水辺で育つ「いぐさ」、畳として生きる 5月になると、熊本県の八代平野の田んぼに水が張られ、田植えの季節がやってきます。その風景を見るたびに、私は少しだけ胸が高鳴ります。なぜなら、私たちが扱う「いぐさ」も、水田で育つ植物だからです。ただし、いぐさはお米とは違い、「食べるため」ではなく「暮らすため」に育てられてきたという点が、他の作物とは大きく異なります。 いぐさは、田んぼのような湿地帯で栽培され、乾燥させてから畳表に加工されます。昔から日本人の生活に欠かせない自然と調和したこのいぐさは、見た目は細く頼りなくとも、実はとても頑丈で調湿性にも優れており、今のようにエアコンのない時代では、夏の快適な住まいを支えていました。 【2】「畳」は文化であり、生活の知恵だった 現代の住宅事情では、畳のある部屋が減ってきましたが、それでもなお、いぐさの香りや手触りには、多くの人がどこか懐かしさを感じるようです。私自身も、畳の香りを嗅ぐと、祖父母の家を思い出します。いぐさは、目に見えない形で記憶と感情に結びついている植物なのかもしれません。 そして、畳の持つ力はそれだけではありません。いぐさには空気中の湿度を吸ったり吐いたりする「調湿作用」があり、さらにアンモニアなどの臭いを吸収する働きもあります。これはまさに、自然が作り出した「呼吸する床」。日本の気候に合った生活の知恵が詰まった素材です。だからこそ、私は今もこの仕事を続けているのだと思います。 【3】いぐさを繋ぐ仕事、それが私の役割 私は、いぐさを「育てる」人間ではありません。ですが、いぐさを「使う」ための機械を修理することで、この文化に関わり続けています。昭和の時代に作られた機械が多く、今や部品も手に入りにくい中、それでも直してほしいという声がある限り、私はこの仕事を続けます。いぐさという植物、畳という文化、そしてそれを支える機械や人。どれが欠けても、この世界は回りません。私自身は「いぐさ博士」ではありませんが、「いぐさに詳しい人になりたい」という気持ちは、本物です。この連載を通じて、自分自身の学びを深めながら、少しでも多くの方にいぐさの魅力を伝えていけたらと思います。 2025年5月1日
藺草人日記 #1|春の手入れが、一年を決める

― いぐさ機械と技術のバトン ― 【1】春は準備の季節 4月、新しい年度が始まり、世の中はどこかそわそわとしています。学校や職場では「スタート」の空気が流れていますが、私たちの現場でも同じように“準備”の季節がやってきます。いぐさ農家さんにとって、これから始まる育成や乾燥作業に向けて、今の時期に機械の調整をしておくことがとても重要なのです。 冬の間に使わなかった乾燥機や自動織機、切断装置などを一つひとつ確認し、部品の劣化や油切れを点検していきます。この「ちょっと早いメンテナンス」が、夏以降の稼働トラブルを未然に防ぎ、作業の効率と品質を大きく左右します。春の整備は、まさに“見えない仕事の始まり”です。 【2】機械の調子は、農家のリズムに合わせて 機械は「壊れる」だけでなく「調子が出なくなる」ことがあります。少しだけ音が変わった、切断の角度が微妙にズレている、電源が入りにくくなった——そんな小さな異変も、熟練の農家さんはすぐに気づきます。だから修理する私も、“目に見えない違和感”に耳と目を研ぎ澄ませなければなりません。 面白いことに、機械の癖は、持ち主の癖と似てくるのです。ある職人さんは力強い織りを好み、ある人は静かな回転を望む。だからこそ、私は現場で相手としっかり話すようにしています。その人の「畳の織り方」や「こだわり」を知ることで、機械の調整にも“その人らしさ”を反映させることができるのです。 【3】次の世代へ技術を渡すとき 最近、若い世代の方が機械の調整に立ち会う姿を見ることが増えました。ベテランの親から作業を受け継ぐため、現場でメモを取ったり、写真を撮ったりしている。こうした姿を見ると、私は胸が熱くなります。 いぐさという植物を扱う技術はもちろんですが、それを支える“機械の扱い方”もまた、立派な継承の対象です。私の仕事は、部品を変えることではありません。技術のバトンを滑らかに渡す“つなぎ役”であること。春はその第一歩として、とても意味のある季節なのです。 2025年4月1日