― 脳と嗅覚と日本人の記憶 ―

【1】香りで時間が巻き戻る

8月のお盆になると、帰省先で祖父母の家に泊まる人も多いのではないでしょうか。ふすまを開けた瞬間にふわっと漂ってくる、あの畳の香り。それだけで、一瞬にして子どもの頃に戻ったような感覚になることがあります。この「香りで記憶がよみがえる」現象には、実は科学的な裏付けがあるそうです。

嗅覚は、五感の中でも特に「感情」や「記憶」に直結する感覚です。脳の海馬や扁桃体と深くつながっており、いぐさの香りは、過去の体験とセットで脳内に刻まれている。だからこそ、畳の香りには“懐かしさ”や“安心感”が自然と宿っているのだと思います。

【2】いぐさの香りがくれる、心の余白

私が訪問修理で農家さんを回ると、機械のにおい、乾燥機の熱気、泥の匂い、そしていぐさの青い香りが混じり合った独特の空間に身を置きます。その中で、ふと畳の香りが立ち上がる瞬間があります。汗をかいた肌に風が通り、いぐさの香りがふわりと鼻をくすぐる。あの感覚は、どんな高級アロマでも味わえない“自然そのものの癒し”です。

いぐさの香りには、心を静かに整えてくれる力があります。急かされることの多い今の世の中にこそ、こうした「何も考えない余白」が必要なのではないか。私は畳の香りを嗅ぐたびに、そう思うのです。

【3】香りを未来に届けるという仕事

私が関わっているのは、いぐさを育てることでも、畳を敷くことでもありません。壊れかけた機械を修理するという、言ってしまえば“裏方”の仕事です。それでも、直した機械が動き出し、また香る畳が世に出ていく。その連鎖の一部に自分が関われていることが、私の大きなやりがいになっています。

いぐさの香りは、いわば文化そのものの香りです。どこかで誰かが「この香り、懐かしいな」と思ったその瞬間、私の仕事は静かに報われている。だから今日もまた、私は部品箱を開き、次の修理に取りかかるのです。

2025年8月1日

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